まるで人生だね

最近考えてること。サブカル。

『フリクリ オルタナ』感想

 

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今回この記事を書くにあたって、

フリクリはその時代の若者の為にあればそれでいいと僕は思うんすよ。
要は今の若者が「面白い!」って思えばそれでいいんすよ。

以前のブログで書いたこちらの発言を僕は取り下げなければいけません。まさか『フリクリ』の悪口を言う日が来てしまうなんて思わなかったです。

 

 

先に言っておくと、『オルタナ』は15点、『プログレ』は60点くらいの感想です。多分見る順番が逆だったらまた印象違ったんだろうなとは思いますが。でもどのみちそれぞれ大なり小なり怒りを抱いているので、今回そんな感じの感想ブログになります。

 

ただこれだけは言っておきたいんだけど、僕は『オルタナ』『プログレ』のアンチではないつもりです。特に『オルタナ』なんてこれから書く感想は9割が批判だけれど、それでもアンチではないんだ。元々2本分の感想をまとめてひとつのブログ記事にしようと思ってたのが結局3本になるくらいに葛藤してることだけは分かってほしい...  僕は『フリクリ』という作品群をひとつも嫌いになりたくないんだ...僕だって辛いんだ...辛いんだよ... まずは『オルタナ』の感想から。

 

※ 以降の記事では2000年のOVA作品『フリクリ』のことは『フリクリ』と表記し、『フリクリ オルタナ』のことは『オルタナ』、『フリクリ プログレ』のことは『プログレ』と表記します。

 

flcl-anime.com

 

 

既視感の連続『オルタナ

 

期待と不安で緊張の糸をビンビンに張った僕は、上映開始1分で「これは僕が楽しみにしていたフリクリじゃないんだな」って思いました。席を立ちたくなった。

玄関で揃えられたローファーを、主人公・カナが履いて登校する。画面のヒビ割れたスマホから流れるのはthe pillowsの曲。そしてモノローグを垂れ流してタイトルが出る。ここまでの演出、どれもどこかで見たことのあるようなものでしかない。ちょっとでも冒頭で観客の気を惹き付けようとする気概は見られず、「今から始まるのはこういった作品ですよ」という提示でしかない。

ハル子のキョロキョロする双眼鏡の視点とマミ美の「足は肩幅~」という台詞で始まる、一体何が始まるのか分からない掴みは、あのワクワクする幕開けはどこへ行ったのか。靴を履いて登校するってなんだ。物語のスタートをそんな分かりやすく画面に落とし込むなんざ、凡人でも思いつく。そう、この作品の監督・上村泰氏は凡人なのだ。それをハッキリと提示するためのファーストシーンなのである。どうしよう、まだ映画のアタマなのにこんなにディスってる。止まんねぇなぁ!

 

 

さて、そんな調子で始まる『オルタナ』。その後も画面で繰り広げられるのは、テンプレで彩られた女子高生達の、手垢まみれの日常シーン。

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ここで監督のインタビューを読んでみよう。

─ 本作を作るに当たって、女子高生のライフスタイルをすごく勉強されたとお聞きしました。

   いかにも男性が描いたような、記号的な女性にしたくなかったんです。(中略) シナリオや絵コンテの段階で女性スタッフに女子高生のときのことを聞いたり、知り合いの子供に周りで流行っているものを教えてもらったりしていました。それに、アニメだからこそ人間をリアルに描きたいという思いは、監督になってからずっと持ち続けていることでもあるんです。(中略) 今回は等身大の女の子を描くことに初めて挑戦しています。

フリクリ オルタナ』パンフレットより

この目論見は破綻している。たとえば休み時間に主人公達がダベるシーンや、放課後に秘密基地でダラけるシーン。スキンシップを盛り込んだり、彼女らの間で流行ってる言い回しをさせたり、突然ペットボトルロケットを作らせて女子高生らしい派手な盛り付けにさせてみたり。こういった描写が「等身大の女子高生像」として通用したのは10年前のことだ。全部『けいおん!』で見た。

僕は男だから、女子高生だった事は無いし、実際の女子高生がどんな気持ちで生きているのかは分からない。この映画で描かれる女子高生は、本当にリアルに描けているのかもしれない。しかし、どっちみちテンプレート止まりの印象しか観客に抱かせられないのなら、それは表現として二流だ。本当に面白い作品は、「現実にこんなのいないだろ」って思うような描写・背景設定を使いつつもリアルを醸し出す。『フリクリ』のマミ美はまさにそうだった。等身大の女の子が描きたいのなら、ただ現実感をなぞるだけじゃ足りない。フィクションにいかに説得力を持たせるか。いつだってアニメーションの命題はそこだったはずだ。

 

 

薄っぺらい主人公・カナ

 

そんなテンプレだらけな描写の中で、では制作側が狙っていたテーマをうまく描けているのか。

結論から言うと、△だ。

 

結局、恋物語ではなくて、あくまでもカナが抱えているモヤモヤとしたもの。そこに対する答えをいかに出すかが、この作品の一番の肝というか、描きたいものなんだよな、と。

CONTINUE vol.55  より

と監督は語った上で、

今回の『オルタナ』はめちゃくちゃわかりやすくつくってるんです。

片や『プログレ』がすごく攻めた作り方をしているというのは聞いていたので、だったらこっちはなるべくわかりやすくしよう、と。

CONTINUE vol.55  より

とも言っている。冒頭のシーンの出来を見て「凡人だ」との印象を抱いた訳だが、そんな人間への予防線のようにも取れてしまう。まあそれは流石に揚げ足取りかなと思うので置いておくが。

 

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主人公・カナが抱く、このままずっと同じ日常が続けばいいという願望を、モラトリアムを絡めて描写し、そこにどう結論を出すのかが『オルタナ』のテーマとなっている訳だが、そこに至るまでの脚本の練り込みが甘い。

 

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物語の大きなポイントとなるのはカナの友人の一人・ペッツ。「友達だから!」といつもグイグイ人に干渉していくカナに対しての嫌悪を吐露するのが5話のシーンであるが、ここに至るまでの掘り下げが絶望的に足りない。そんな調子だから、泣き所であるはずのこのシーンでは困惑を隠せない。

一応物々交換癖を使った伏線張りはあるのだが(火星に移住する前に、それぞれ思い出の品を集めておこうというもの)、「お前今まで少なからず楽しかったことあるはずだろうに今更何を言うとんねん」とチグハグさを感じてしまうのだ。結局の所、カナに未練を残さないための突き放しなのかという解釈をさせたいのだろう。いずれにせよ掘り下げが足りない(二回目)。

 

フリクリ』においてナオ太は「大人ぶるのをやめて子供らしく生きる」という結論を出した(あくまで平たく言えばのハナシ)。今作ではヒジリーが似たような立ち位置になるだろう。一方ペッツは「大人にならざるを得ない状況の子供」というキャラとして描かれていると解釈でき、実際に子供でいることを諦めて火星に行く。ではそんな友人達のエピソードを経て、カナは自分のモラトリアムに対してどんな結論を出すのか。

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それは「変わらない」ということ。変わらない日常をこれからも過ごし続けたいという結論に至るのだが、その描写がキツい。なんか車の上に登って「私はー!みんなが大好きでー!」って叫んでたら髪の毛が光って事象の地平線がうんたらかんたらでアイロンが吸い込まれて解決!みたいな。何を言ってるか分からない?僕が一番分からないです。こんなことに『トップをねらえ2!』の設定持ち込んで、僕らに色目を使わないで頂きたい。あとそういうシチュエーションならせめてガイナ立ちしてくれた方がまだ絵になるんじゃないの?なんで変なとこで外してくんの?いずれにせよ掘り下げが足りない(三回目)から説得力も生まれない。「変わらない日常」を手にしたいと覚悟を決めるって落とし所自体は悪くないのに残念過ぎる。

 

振り返ってみると、『フリクリ』はその辺が本当にしっかりしている。ひとつひとつの行動に綿密な裏付けがなされているのだ。ナンダバ家でのドタバタが同時にメディカルメカニカや入国管理局への牽制になってたりとか。その辺の練り込みひとつ取っても、『オルタナ』は足りてないのだ。「わかりやすく」を練り込みの甘さの免罪符にしようとするな。

 

 

ハル子の存在意義

ここまで『オルタナ』のシナリオへの不満点を書いてきた訳だが、ひとつお気づきにならないだろうか。

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そう、ハルハラ・ハル子にまだ触れていないのである。この映画はハル子がいなくても問題なくシナリオを回せるのだ。

 

予告では「毎日が毎日毎日、ずーっと続くとか思ってる~?」というハル子のセリフが印象的に抜き出されている。結局の所、今作のハル子はこのセリフのような説教臭えことしか言わないのである。説教おばさん。説教おばさん!?ハル子が!?

ハル子のCVを担当する新谷真弓氏曰く、

OVAシリーズを振り返ってみても、そもそも同性に対する興味がすごく薄いイメージがあって(笑)。

男性を翻弄しているときに比べると、心の距離がもうちょっとあって、女性同士の駆け引きをやっているような感じと言いますか。例えば、「ピタパト」で男の子をめぐってカナを挑発するシーンは、カナは本当にプリプリしているんだけど、ハル子は本気じゃなく、カナをどう煽るのかが面白いか模索したり、そういうことの積み重ねですね。

フリクリ オルタナ』パンフレットより

とのことだ。確かになにか裏に意図があるような行動は取っていた訳だが、結局最終的な目的は観ている側の考察に丸投げなのだ。

そもそも今作のハル子はアトムスクへの執着を見せないし、例の腕輪も付けていない。時系列的には『オルタナ』は『フリクリ』より以前の物語になるのでまあ分からなくもないが(今作の舞台は地球)、それにしたって従来のハル子の設定からは大きく外れている。今回起きる事件の大半は、メディカルメカニカとか関係ないのだ。

じゃあなぜ今回のハル子はカナのN.Oを使ってメディカルメカニカと戦ってるのか。まあそれはフラタニティとして地球を救うためなのは文脈から読み取れるし、設定として破綻している訳では無い。だが地球を救ってどうしたかったのか。脚本の都合で動いている感が拭えない。動機に説得力がない。そしてアトムスクを追いかけない、利己的ではないハル子には説教臭さしか残らないのかというとそれはおかしいと思うし、あまりにも悲しい。女子高生4人の狂言回しとして使い捨てられるハル子なんて見たくなかった。特に3話なんてマジで何の為にハル子が動いてるのか理解出来なかった。画としての面白さはあっても、コンテストの優勝者が可哀想なだけで胸糞悪かった。ちなみにモッさんのキレ方もやり過ぎだと思った。僕はハル子のコスプレ劇を観るために映画館に行ったわけじゃない

 

 

 

結局悪口しか言ってないけど大丈夫?

って感じなのでここらで好印象だった点も捻り出しときます。

1話でハル子がフラっと蕎麦屋に現れるという初登場は結構好き。『フリクリ』での劇的な登場シーンへの逆張りはちょっとイカしてた。

あと2話のカーチェイスの一連のシーンは結構面白かった。まぁ「フリクリがCGに頼るなんて...」とは思いつつも、カナが「わたし運転の才能あるかもー!」って言う前後の流れとかは、気の抜けた主人公像も見えて、いいシーンになっていた。トランスフォーマーのパロは上滑りしてたけど。

てか『オルタナ』は全体的にパロディのサムさがヤバい。フォーゼネタもスラムダンクネタも何もかも駄々滑り。多分どれもキメるシーンで持ってきてるから失敗してんだろうな。『フリクリ』の場合は話の冒頭の掴みで使ったり、ギャグシーンの真っ只中で使ってるから奇跡的なバランスを保っているのだ。いや結局悪口になってんじゃん。

 

結局手放しに褒められるのは、EDの映像だけだった。実写のシーンも混じえたコマ撮り映像で構成されていて、すごくよかった。歌詞も相まってEDだけちょっと泣けた。あそこだけ何度も見たい。

 

 

結局何が敗因だったのか

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全6話という尺に対して、主要メンバーが多過ぎる。これに尽きる。ペッツの掘り下げが足りないのは絶対にこれが原因だと思う。かといってカナとペッツだけにしてしまうのも、女子高生の青春劇感が薄れて、やりたいことから乖離してしまう。しかも『フリクリ』という看板を背負う為に、ハル子やメディカルメカニカの要素もねじ込まなければならない。監督が可哀想になってきたよ。

要は尺の使い方に工夫が足りなかった。ひとつの行動で複数の物語を動かせるような、そんな工夫。2~4話をそれぞれ一人のキャラの掘り下げに使うのは悠長過ぎた。実際見てて冗長に感じた。最終的に出来上がったのは凡人による凡作止まりの映画。そもそも映画という体を成せてないんだけども。以上がひとまずの総括です。

 

 

 

 

はてさて、まだまだ語ってない要素はあるのだが、それは『プログレ』の感想を綴った後に総括という形で3本目の記事でまとめて書き連ねようと思いまする。全部合わせたら1万字なんて軽く超えそうな雰囲気出てきて笑う。果たして全部読んでくれる猛者はいるのか。つづく!